今日は死ぬのにもってこいの日と20年ぶりに再会。今度は購入した。
わたしは日々年取ってゆく。
でも知ってるぞ、
消えゆこうとする青春は
わたしの不確かな知恵に身を潜め
刻一刻と若返ってゆくことを。
~『今日は死ぬのにもってこいの日』より~
でも知ってるぞ、
消えゆこうとする青春は
わたしの不確かな知恵に身を潜め
刻一刻と若返ってゆくことを。
~『今日は死ぬのにもってこいの日』より~
20年前、40歳のとき、知人に、ネイティブアメリカンの哲学について詩と散文で書かれた『 今日は死ぬのにもってこいの日 』という本を読むように勧められ、書店でパラパラッとページをめくってみたが、そのときはボクの琴線に触れることはなく、けっきょくは買わなかった。
先日、Amazonで偶然『 今日は死ぬのにもってこいの日 』(ナンシー・ウッド著)を見つけた。20年ぶりの再会である。懐かしいという感覚よりも「今が(この本を)読むのにもってこいのタイミングだ」という気がして、「なか見!検索」をすることもなく、カスタマーレビューを見ることもなく、そのままカートに入れて注文した。中古品ではなく新品を購入。
翌日、Amazonから『 今日は死ぬのにもってこいの日 』が届いた。

さっそく読んでみた――
この本は、準備が整った人の前に「もってこいのタイミング」で現われる。そんな不思議な本なのかもしれない。ふとそう思った。
