富士塚のある越谷の神社|大相模久伊豆神社(埼玉県越谷市大成町)

埼玉県越谷市・大相模久伊豆神社(おおさがみひさいずじんじゃ)の富士塚
埼玉県の越谷市(こしがやし)には十数箇所、富士塚が現存しています。今回は越谷市に残されている富士塚のひとつ「大相模久伊豆神社」(おおさがみひさいずじんじゃ)に行って富士塚を見てきました。

大相模久伊豆神社の住所は埼玉県越谷市大成町1-2159( 大相模久伊豆神社の場所 )。越谷市で久伊豆神社といえば藤で有名な越ヶ谷の久伊豆神社(越ヶ谷久伊豆神社)が知られていますが、越谷市には久伊豆神社が七箇所あり、大相模久伊豆神社はそのうちのひとつです。

大相模久伊豆神社の創建時期は不明ですが、明治時代には、地元(大相模郷東方村)の鎮守社になっていたようです。大己貴命(おおなむちのみこと)・菅原道真(すがわらのみちざね)・天照大神(あまてらすおおみかみ)など七柱が祭神として祀(まつ)られています。

鳥居をくぐると右側に御神木(ごしんぼく)のヒノキ(桧)とエノキ(榎)の双樹が見えます。共生するヒノキとエノキの姿は、地域の豊饒と平和の象徴として、古くから崇められてきました。

本殿左手に小山のように盛り上がっている場所があり、そこが富士塚です。木が茂っているので、昼間でも富士塚の周辺は日が陰り、そこだけ別世界のような雰囲気。

コケの生えた石段の頂上に「浅間神社」(せんげんじんじゃ)と彫られた石碑があり、左斜め下に「登山記念」と彫られた石碑があります。浅間神社は富士山の主祭神であり、登山記念と彫られた石碑があることから、この場所が富士塚であることが分かります。

富士塚の頂上にある石碑。中央部分に「浅間神社」、右側に「明治三十一年一月」とありますので、この富士塚は明治31年ごろに作られたものでしょうか。

登山記念の石碑には、昭和七年七月吉日とあり、その下に10人ほどの名前が彫られています。昭和7年7月に富士詣に行ったときの氏子の方々の名前ではないかと思われます。

富士塚は、頂上から富士山が見えるように築造されるのが一般的なので、この富士塚が作られた当時(明治時代)は、この場所からも富士山が見えたと思われます。

大相模久伊豆神社の鳥居をくぐって境内に足を踏み入れると、外とはちょっと違う神聖な「気」を感じます。昔の人は、こういう特別な場所(パワースポット)を知っていて、神社にしたのかもしれません。
大相模久伊豆神社(埼玉県越谷市大成町)境内と富士塚の風景

















